出汁は簡単では無いが難しくも無い、早く習得するべきだ

料理をしようと思ったときに一番わけわからずwと感じるのは出汁だろうと思う。今でこそ、割と平易に解説している書籍やコミックやHPがあるけれど、一昔まえは出汁の正体がよくわからなかった上に、素人と玄人の差がとても大きかったのです。しかも、化学的抽出製法で作られた「化学調味料」が発売され、旨味成分をのみ溶かせば出汁完成となってしまったので、出汁=本だしとなってしまったのです。別に間違ってはいないけど、本だしを代表とする化学調味料、および、めんつゆには致命亭な欠点がある。それは、結局みんな同じ味になってしまう、ということだ。

例えば、うどんつゆ、煮びたし、肉じゃがを作った時に、本だしや本つゆを使えば味はある程度決まるが、それはよくある味、ということになってしまう。出汁は下地だから、根幹が決まってきてしまうんだよね。

なので、家の味、自分の味というのは昔は取った出汁に寄った。例えば、昆布だし、かつおだし、しいたけだし、その他その他。あごだし、煮干し、鯵だし、そうだ節、鯛節、マグロ節。その調合、煮出すタイミングと方法、順番、温度、水。

でも簡単に言ってしまえば、要するに素材のエキスが出汁なんです。なので、そんなに難しく考える必要も無い、そんなに費用もかからない。

例えば、キムチ鍋を作るのにこんな方法があります。市販のキムチ鍋だと、足りなくなったり、辛すぎたり。濃淡しか調整できないのか?

こうしたらどうでしょう?

キムチ=桃屋さん。肉=豚バラ肉、魚介=あさり、野菜=白菜、にんじん等

まず、煮干し、厚削りカツオだし、鯵だし、昆布を水から加えて煮る⇨出汁

次に、豚バラとキムチの素を和えながら土鍋で炒めつけ、香ばしくなるのを待つ。

そこに、出汁を加え一煮立ち。そこへ、アサリ、野菜を入れしばらく煮込んでいく。

仕上げに、出汁に味噌とキムチの素を加えつゆを作り、足しながら味を見ていく。

こんな感じでとてもお安く、本格的な魚介スープが作れるのが面白いところ。

出汁なんて、簡単でしょ?ただし、正解が無いので、勘がものいう世界となる。試行錯誤と記憶力と謙虚な気持ちが味方となります。なので、できるだけ舌ののしっかりし若いうちに始めた方が良いと、本当に思う今日この頃です。

 

 

 

不倫についてのメモ(ベッキー&)

ベッキーさんとゲスの極みさんの不倫について、ものすごくたくさんのクレームが主に主婦の皆さんからついているらしいけど、みんな何が不満なんだろう?不倫の当事者でもなければ、利害関係者でもない。単なる立ち見の見物客のくせして、何がご不満なのだろう?と不思議に思った。

妻子ある女性なり男性なりに言い寄って恋愛関係に陥ることを不倫というならば、そんなのいつでもどこでも起こりうる問題ではないのだろうか?結婚してなくたって、決まったパートナーがいる人間に言い寄っていけば、必要に応じパートナーの人から怒られたり、排除されるはずだ。結婚しているか、していないかは関係がない。

結婚してすぐなのに何てことを、というような意見も目立つけれど、別にすぐだろうが30年後だろうが同じようなもので、そこにも差はない。

多分、結婚している=法や規範に守られている。そう簡単に壊れたりしないはずだ。という思い込みが強いので拒否感を感じるのだと思う。結婚していようが、していまいが、強い関係は強いし、壊れそうな関係はすぐに壊れてしまうだろう。

だから、すでに結婚している人は、これが何かに強く守られている状態だと思い込まない方が良い。大事な人との関係は自分自身で守らねばならない。まだ結婚していない人は、結婚を強い絆とか愛情の担保として考えない方が良いよね。

結婚しているパートナーが誰かに言い寄られて関係を持ったとしても、それは不倫をしてはいけない、というモラルの欠如やましてや結婚をめぐる法の不整備のせいにはできない、よね。

不倫報道にモラルだの汚いだの言って責める人は、結婚という制度が愛情が冷めたカップルの関係を守ってくれたり、パートナーが新しい恋愛を始めてしまうことを防いでくれたりすると思っているのだろうか?そんな制度は過去もこれからも、世界中のどこにもあるはずないじゃんね。愛情が冷めないように、また相手が新しい恋愛を始めてしまったりしないように今の関係をお互いしっかりと育んでいくしかない。

だから、結婚してようがしてまいが、どちらから言いよろうが口説こうが、そんなことは全く関係ない。今回の出来事に不快感を感じている人たちは、もしかしたら自分たちの結婚生活や恋愛生活に、日常的に不満を抱えている人かもしれないね。もしかしたら、不倫がしたくても出来ない人たちとかね。

翻って自分はどうか?あるわけないけど、もし言い寄られたりしたら、詐欺かハニートラップって思っちゃう。それだけ。

日銀マイナス金利に思うこと

日銀がマイナス金利を発表ニュースは、その日のお昼、五目タンメンしょうゆ味を食べていて、お店のTVはアマーリさんの汚職問題をほじくり返して時間を埋めるというちょっと変わった番組の途中で緊急速報で放映されました。それを見た、一緒にいた人も私も、アマーリ問題より、マイナス金利の説明と解説をしたほうが良いのではないかと心から心配したのですが、そんな兆候はまるでなく、ぐずぐずとつまらないアマーリ議論とすかすか笑いが続いているだけでした。

さて、ポルたんが危惧したのは、「こんなの日銀が勝手に決めていいのか?」ということでした。タンメンやで見たTV番組では分からなかったんだけど、どうやって決めたんだろ?クロッキーは先週くらいまでマイナス金利はやらないよ〜って言ってたのに?と思って後で確認したら、ゼーレみたいな感じで日銀の幹部が5:4で賛成で決めたとのことでした。

これは別にいいよね。人類補完計画もざっとそんな感じで決められていた。日銀における碇氏が誰かわからないけど。満場一致にならなかったのは健全さの証。

しかし、マイナス金利って。今回は、①銀行から日銀への当座預金②新規③0.1%とのことですが、この3項目ってどこまで日銀ゼーレが決められるんだろうか?

近いうち、「碇君、人類補完計画の最終段階じゃ・・」みたいな感じで、①預金者から銀行への普通預金②既存預金③100%とか決められたら、要するに預金封鎖じゃないですか?これは、日銀ゼーレの判断だけで決められるのだろうか?政治はそれこそどこまで絡むのか?どんな法律がどのレベルで拘束しているのか?諸外国はどうやって決めているのか?国民はそれが気に入らなかったらどうやって対応すれば良いのか?

TVもアマーリの結論の出ている汚職をいつまでもつついてないで、この辺の疑問を明らかにしてもらえるとありがたかったのですが当然TVでは誰も話題にしてくれません。

 

ところで•・・

*アマーリ問題で思ったのですが、この国で今二世三世でなく政治家になろうとする人がいるのだろうか?いるはずないと思うのですが。もう、政治家という職業は無くなっても良いのではないでしょうか?と極端ながら思ってしまう。民間裁判員みたいに、ランダムに選んで国政を担わせた方が真剣にやるんじゃないだろうか?

*そもそも、政治家という職業、政治という職務は、特に日本で存在しうるのだろうか?

実はそんなの存在しなくても良いのでは?と思ったのでした。

ではまた。

北茨城のあんこうと太平洋。「民宿むらた」様

水戸は松五郎でスタミナラーメン・冷やしをいただき、幕末のテロ集団に思いを馳せながら太平洋沿いを北上しました。目的は「アンコウ鍋」です。

あんこうは1月が旬ですが、それは「肝」が大きくなるからです。寒さに備え、産卵に備えるためだそうです。この辺のあんこうは「キアンコウ」といい、普通のあんこうより美味とのこと。

食べ方は幾つかあるのですが、水が貴重な船上で船乗りが考え出した食べ方が、「どぶ汁」。水を使わず「肝」と大根、人参などの野菜から出る水分でこしらえます。

これが基本ですが、普通に鍋としていただく「水炊き」。ポン酢で食べますがまだ食べたことはありません。神田の伊勢源という老舗が有名店だそうです。行きたいな。

今まで3回ほどいただいており、

1回目:大洗の旅館:生臭かった。もういいやと思った。

2回目:鹿児島の魚介専門店。なんで鹿児島であんこうどぶ汁?と思ったけど幹事が悪いのかな?本当に、もういいやと思った。

3回目:福島県に引っ越してきたので良く行く料理やさんに相談してどぶ汁を作ってもらった。すごく美味しくいただけた。今までのものはなんだったのか?

で今回で4回目。良く行く料理やさんの大将が「やっぱりあんこうは北茨城の民宿だよ」と勧める。では行ってみようと向かっているのが、今回の目的「アンコウ鍋」発祥の地北茨城なのです。

水戸から北茨城へと北上する海辺の道は日立の企業城下町を縫うように走り、あまり住人や旅人のことは気にしない街の作りだなあと思いながら、海辺に出ては街道に戻りを繰り返す。海辺のハイウェイなどここにはないのだ。あるのは漁村の細かい道と荒れた畑地と海風に煽られて傷んだ住宅。海から少し離れた高い場所には日立の工場群。天気も悪いので空を映す海の色も鉛色で、車中の人たちは日本海みたいな太平洋だねという。日本海が少し気の毒になる。

一時間強走ると、目的地の民宿「むらた」へ。海岸沿いの奥まったところにある大きなお家だ。人の良さそうな優しそうなおかみさんがお出迎えしてくれる。民宿はほぼ初めてなのでどう評価していいかわからないけど、清潔で過ごし易そうな感じであった。

肝心のアンコウ鍋ですが、思ったよりどろっとしていないお汁をおかみさんが見せてくれた。「?」と驚くと、「ここはどぶ汁じゃないの」と仰る。そもそもどぶ汁は船上の食べ方で、脂っぽくて美味しくないわよ、とのこと。ちゃんと昆布で出汁をとって、そこに煎った肝を溶き入れるのよ、と仰る。

これは奇なり。そもそもどぶ汁発祥の地ということで北茨城に来たのに「どぶ汁」を真っ向から否定していらっしゃる。

さらには、「私は吊るさないの」という。「だって可哀想でできないわよ。何も残らないんだもの」あんこうは身がゆるいので吊るして胃袋に水をたくさん入れて形を作ってから皮を剥ぎ、さばいていく「吊るし切り」が有名。北茨城市のホームページにも、いかにもそうな板前さんが。吊るされたあんこうと睨み合っている写真があります。もはや何でもありで面白い。

さて、お料理のですが、山ほどご提供いただいた。冷凍のあんこうは使わないとのことで、本当に平潟で上がったあんこうを生のまま、捌きたてを使う。当然「身の開き方」が違います。出汁につけると、ぷわっと身が広がる。これカニもそうだというんだよな、確か。

ちょうど良い塩梅の肝の濃さのだし汁にドサドサとあんこうを入れ、野菜を入れる。5分くらいすると火が通る。どこの部位かよくわからないまま、箸をつける。黒いのは皮、硬いのは骨、くらいはわかる。尻尾やヒレも美味しくいただく。ぷるぷるしているのは、コラーゲンだそうな。

「あんこう鍋」は要するに「あら鍋」なの、とおかみさんは言う。身の美味しところは共酢和えで出しちゃったわよ、と。いわゆる他の魚の「身」にあたる部位は背骨に沿った筋肉しかないのだ、という。そこと胃袋は湯がいて共酢で先ほど美味しくいただいてしまった。なるほどね。

こんなに食べられるわけないよね、と思いながらも「これはどこだろう?」と思いながら箸を動かしていると鍋が空いた。肝の出汁をおかみさんが追加してくれて、そこに大量のご飯を投入。絶妙な味のおじやが出来上がった。塩気も少なく、肝の風味が穏やかに漂う。

肝の風味とは、カニの味噌みたいな風味だとようやくわかった。それほど濃くなく、強い印象も与えないけれど、優しく包み込むような感じの海の豊かさの味。お腹一杯になって、二次会もなくそのまま休んでしまった。

さて、次の日。おかみさんに聞いた「あんこうサミット」の会場に向かう。テントを広げた朝市のような会場に入ると「あ、あんこうの香りだ」と一同了解する。会場にはあんこうの香りが一面立ち込めていて、黒山の人だかりの上を、遠くから大小の海鳥が行き交っている。美味しそうな匂いがするのだろう。

あんこうは全世界の深い海で採れるので、当然日本中にあんこう料理店がある。日本はきっとあんこうでつながっているのだ。今日のサミットは日本中からそのあんこう料理店が集まって、オリジナルアンコウ鍋を披露する。一杯300円、5杯で1,000円。でもそんなに食べられない。

個人的には、イシルをを使った石川県のアンコウ鍋も美味でありました。